國友 須賀プロフィール
1953年3月22日高知県幡多郡黒潮町に生まれる。桐朋学園大学演劇科卒業。劇団四季を経てフリーに。演劇、ミュージカル、ダンサー、TVドラマ、舞台で活躍。
1983年、帰高すると同時にsuga jazz dance studioを設立。ダンサー、コレオグラファー、ミュージカルディレクター、テレビ、ラジオ、コンサート、講演、執筆等幅広くこなし、当時の高知県下では國友須賀の名を知らない者はいないと言われる程であった。
その中でも、「よさこい鳴子踊り」を現代化させた功績は大きい。1980年代初頭、高知のよさこい祭りで革新的な振付を行い、次々とその年の最高賞を獲得、前代未聞の大旋風を巻き起こす。その後も斬新な踊りと溢れるエネルギーを注入し続け、高知県外にも多く足を運び、よさこい祭りが現在のように全国各地で開催される火付け役を担っていく。とりわけその踊りをみた1人の学生からすべてが始まったという逸話を持つ「YOSAKOIソーラン祭り」の源流作りに尽力したことは特筆すべきことである。現在でも国内外を問わず数多くの祭りを踊り歩くとともに、多くの踊り連のプロデュースや祭り・イベント等のアドバイザーなども手掛けており、「YOSAKOI/よさこい」の名の付く祭りの全てに國友須賀の遺伝子が引き継がれているといってよいであろう。それらの功績が認められ、2002年に高知県で開催された第57回国民体育大会では、開会式の式典前演技において現代よさこいの振付を担当し、天皇皇后両陛下の御前演技という大役を果たした。
2000年には、プロジェクト「よさこいにっぽん」を立ち上げる。全国の踊り子・祭り人の心のネットワークを提唱、その年の高知よさこい祭りでは全国から1,000人近い踊り子が集まり、一つの連としては異例の盛り上がりを見せた。そして須賀は更に前に進む。文化的・芸術的水準の向上へとオリジナルダンス「IZANAI」とミュージカルを融合させたSUGA IZANAIミュージカル「STAR NATION」を制作、踊り子のネットワークから全国8箇所9公演を成功させる。次作「cosmic rain」では、愛・地球博公演を含め、全国28箇所29公演を敢行。
2004年には「SUGA IZANAI アカデミー」を設立(香川県)し、踊りのみに留まらず全ての芸術・日常を通して新時代を切り開く人材の育成を目指してきた。
また、いち早くヒーリングというジャンルにも精通する。1996年にはハワイのマウイ島にLOVE STAR CORPORATIONを設立、その後もヒーリングスクール HOKU ALOHA O KE KULAをオープンするなど癒しを求める世界中の人々を迎えていった。ヒーリングとダンスの融合から独自のワークスタイルを確立。全国各地でワークショップも行った。
ハワイ・Honolulu Festivalには初回から20年連続出場。2005年10月には、ドイツとフランスに「cosmic rain」を上陸させるとともに、現地でPRを兼ねた祭りをプロデュースするなど、日本発の全く新しいカルチャーを世界へ伝えることに尽力した。更に、ハワイ・マウイ島では枠にとらわれないアーティスト達とともに新時代へむけての雛形としての祭りを開催するなど、常に新しい領域へとチャレンジし続けた。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地のひとつとして千葉県旭市内での炊き出し、また東北地方へ踊りを届けるなど、震災復興支援活動に取り組む。
2011年6月1日 午後23時54分 旭市内の病院にて永眠。